特別展を見終わってメインの1/10戦艦大和へ。
このスケールだから表現出来るものが沢山ある。
艦橋後部の斜めに2本出ているマスト?の先端に付いている風向風速計なんてこのスケールじゃなければ絶対に表現出来ないものだ。
溶接で作られていたらしいからツルツルした船体。
カミさんと比べてもデカい。
あまりの情報量に何処を詳細に撮れば良いのか分からなくなってる(-_-;)
この角度だと分からないけど…
大和型は主舵と副舵の2枚が前後に並んでいる。
当時としては珍しかったらしいが左右並びだと魚雷攻撃等で2枚同時に損傷する事がドイツの戦艦ビスマルクであったらしい。
排水量比率だと小さい舵だがズングリした艦形の為に旋回半径は他の戦艦等と比べて良かったらしい。
が、舵が小さくて舵が効き始めるまでにかなりの時間が掛かったと。
思ったんだけど下に降りる形の設置場所を両側に出来なかったんだろうか?
左舷側の写真とか艦首、艦尾の写真を撮るのにガラス板が邪魔で…(-_-;)
この辺りは大口径のレンズでしっかり撮りたかった。
ガラス板があるからこれより下からのアングルは無理(-_-;)
艦載機は2種類の内の1機、零式観測機だけ飾られてた。
艦に数人の模型。
後から知ったけど艦橋上部にも1人飾ってあったらしい。
こちら側も階段状にして欲しい。
リニューアル工事で改善されないかなぁ…
もっと言うと同じスケールの空母や駆逐艦も作って欲しいw
と、1/10大和を堪能して展示室へ。
最初に目に付いたのは戦艦金剛型のボイラーの模型。
艦の一番下の密閉区画でこの大きさのボイラーに石炭を投入するのが人力??
蒸気機関車の何倍の熱量なんだ??
大和にはこんなボイラーが12機あったらしい。
そこから低圧、高圧タービン、減速機を介してスクリューへ。
画像は何処かからの拾い物。
戦艦長門の模型。
TVのお宝鑑定団に出てきた軍艦旗を石坂浩二氏が購入して大和ミュージアムに寄贈したという話は聞いていたんだけど、これがそうだと思ってたら別の場所で展示してたと…
しっかり見逃した(-_-;)
昭和天皇にこの様な船を造ると報告した際の模型のレプリカだって。
大和の変化。
当初は前後左右に重巡洋艦最上型の主砲を流用した60口径15.5㎝3連装砲塔を副砲として設置されていたが、対空戦主体になってきた為に左右の副砲を下ろし八九式12.7cm連装高角砲6基12門や九六式25mm3連装機銃等を設置した。
最終時には更に対空戦闘用に機銃が増設され2,3番主砲の上にも設置された。
主砲発射時の爆圧で囲いの無い機銃では人が耐えられない為、主砲発射前にブザーを鳴らし当該機銃員は艦内退避したらしい。
その為対空戦時にタイムラグが出来たという。
建造時に艦隊決戦でなく航空決戦を念頭に置いていれば副砲の装甲が薄くて弱点だった問題とか色々改善されてた筈なのにね…
主砲塔の旋回等は水圧で行っていたと。
砲弾や装薬の装填は自動だったみたいだ。
当時の他国の戦艦と比べて主砲の大きさや装甲の厚さが段違いだ。
日本海軍の戦艦で有名なのは大和型、長門型、金剛型、日向型位かなと思うけど、戦艦金剛は国産じゃなくて英国産。
他の金剛型は金剛を基に国内で建造したのだ。
最終偽装中の大和。
呉建造所の何処なんだろ?
20発以上の魚雷と航空爆弾を18発以上を受け沈没した2番艦武蔵は、ある意味大和より浮沈戦艦といえるかもしれない。
逆に大和型3番艦の船体を使った空母の信濃は潜水艦から4本の魚雷を受け沈没。
完成前でダメコンが全然出来ていなかったようだ。
当時の最新技術で建造された大和。
その技術は現代の日本の技術力にも連なっている。
96式150センチ探照灯の反射鏡部分。
煙突の下にある丸い3基が96式150センチ探照灯。
上の写真と比べると大きさが想像出来る…かもw
図面書けない俺からすると、おぉ~すげぇ~としか感想が出ない(^^;
鋼材加工時とかって原寸大にしたんだろうか?
戦後間もない大和ミュージアム近辺。
ここは埋立地なんだね。
真ん中に呉駅がある。
まだ行けてないけど今回駅の目の前は通った。
交差点間違えてだけどwww
当時のジオラマ。
呉の造船所の三角屋根や今は護衛艦かがの専用桟橋になってる辺りに大和がいる。
呉で建造した艦艇。
これだけは横一杯(10,000pixel)の画像だから拡大出来ると思う。
基本俺のブログの画像は長辺が640pixelにリサイズしてるのよ。
柱島水域で主砲打ったって。
柱島水域は戦艦陸奥が謎の爆沈したところだ。
周防大島から見えたあたりだな。
中央が呉、上部に広島、最下部左に桂島。
この辺りに艦船が居たのだな。
これ呉から撮った広島の原爆らしいけど、放射線は大丈夫だったのだろうか?
カミさんが驚いた大和の沈没位置。
こんなにすぐに九州の近くで沈没したと思ってなかったって。
確かに沖縄は遥か遠くだ…
浮砲台にもなれなかった日本最強の戦艦。
悲しいね。
駆逐艦4隻は生存者を救助して生還した。
だから元大和の乗組員が居るんだよ、カミさん。
その内駆逐艦冬月と涼月の2隻は…
冬月と涼月は埋め立て地の下になってしまって分からないのだけどね。
駆逐艦柳はこんな感じで艦形がわかる。
また今度行ってみるか…
航空母艦赤城の模型。
カミさんは奥の鏡が何故あるか分からなかったみたいだけど、写ってるのが航空母艦の煙突なんだよ。
と言いつつ航空母艦の初期だけに赤城の艦橋は左中央。
どうも下向きの煙突が接岸する左舷では駄目なので右舷に付け、赤城はバランスを取って左舷にしたらしい。
アメリカの空母は日本と考え方が違って煙突を高い位置に持っていって艦載機への影響を無くす方式だったらしい。
大和同様に日本独自の案で建造された伊-400。
空母潜水艦なんて誰が思いついたのだろう?
そりゃアメリカも自分の戦力にしたいから戦後持ち帰るわな…
呉空襲で被弾し着底してしまった航空戦艦伊勢。
戦艦の後部を艦載機が積めるように改装するとは、空母の足りなさが分かるものだ。
今の呉の様子。
昔も今も変わらず国防の拠点だ。
大和?と思ったが…
どうやら佐世保から回航された武蔵が呉の第4ドックで竣工された時の様子らしい。
海から見て一番左だったんだね。
てか大和型戦艦の主砲砲身、主砲塔を運ぶ専用の砲塔運搬艦樫野を建造して呉から佐世保まで3往復して主砲部品を運んだらしいのだが竣工まで佐世保で出来なかったのか??
何か色々疑問が出たけど全て帰宅してからなんだよな(-_-;)
見学してる最中は色々余裕が無くてw
そのせいでこの後トンデモナイ事に…
次回最終回予定!w