NHKドラマ「ラジオ」を見た。

NHKドラマ「ラジオ」を見た。

まぁまた「どうでしょう」絡みなんだけどね。
震災後にドラマの舞台になった女川にD陣が呼ばれてから縁が出来たらしい。
で、HPでドラマの告知があったんで見てみたのさ。

見てる時に思い出したんだけどね。
俺は震災の時には千葉に居たんだよ。
生まれは仙台市で親父の実家は津波の被害があった多賀城市でね。
今でも親戚の大半は東北にいるのだ。

その後九州に引越して来たのだが、ここは北九州市に近い所でね。
そう、瓦礫受け入れで揉めた所に近い場所なのだ。

北九州の市長が瓦礫受け入れを表明してから、こっちでは受け入れの報道が多くなってね。
俺は復興の役に立つのなら良い事じゃないのか?放射線も計るって言ってるしと思った。
だけどその時にね、反対してる人の報道を見てね。
とても悲しくなったのを思い出したんだよ。

受け入れて貰う方が汚染されてないか確認して送ってくるって言っても、疑って聞く耳持たずに反対する人の映像(俺にはそう見えた)を見てさ、そう言う事を言われる被災地の人がどう思うのか考えないのか?と憤りも感じたのさ。

そりゃね、俺は東北に縁があるからさ、心情的に被災地の方を向いているのは分かってるんだけどさ。
何か日本人って本当に自己中心的な考えの人が多いんだと思ったよ。

震災直後に千葉でも水から放射性物質が検出されたって報道があって、その日の夜にコンビニに行ったら一人の中年女性がね、店にあったペットボトルの水を「全て」買い占めていってさ。
何かね、普段使わない言葉なんだけど「さもしい」って単語が浮かんできて、怒りより悲しさを先に感じちゃったんだよね。

確かに被災地に行かないと感じる事が出来ない事もあってさ、俺は震災後一ヶ月と少ししてから石巻には行ったけど、嫁が怖がって海側には行けなかったし、多賀城イオンの辺りではそれまで感じた事の無いショックを感じたしね。
それでも、そこにずっと住んでいた訳ではないし、被災した訳ではないから被災者の気持ちになれたかと言うと、かなり疑問だしね。

俺の場合は親戚が住んでいるという事で、被災した大多数の人の事より親戚の事ばかりを考えてしまっていたかもと思うしね。
それでも被災地に最初に行った時は被災地では燃料、食料などが足りないだろうし、現地で俺達が購入する事によって被災者が困るかもと思って車にガソリンや灯油、食料は積んで行ってね、殆どは親戚のところに置いて来れた。

でもね、今は九州に来てて、じゃあ何が出来るのかなって考えた時にね。
被災者それぞれに考えている事が違って、被災者を応援するにもどうして良いか分からないのかもしれないと思っていてさ。

ほら、報道で高台移転するのに意見集約が出来ないとか、一本松や大きな漁船やタンクを震災を忘れない様にする為にモニュメントにするとか、見ると忘れられなくて辛いから撤去して欲しいとか、被災者それぞれの思いがあるのだって知ってしまったから余計に迷うんだよね。
祭だってそんな気になれないって人が居るかもしれないし。

かと言ってそう言う事を考えてると何も出来ないって言うのも事実でさ。
考え出すと堂々巡りなんだよね。

頭悪いな、俺(TT)